成田 悠輔(なりた ゆうすけ、1986年 - )は、日本の経済学者、起業家、論客。イェール大学助教授(アシスタント・プロフェッサー) 、一橋大学特任准教授、東京大学招聘研究員、半熟仮想株式会社代表取締役。専門はデータ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと、公共政策の想像とデザイン。…
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https://globe.asahi.com/article/13857057
イエール大・成田悠輔助教授「選挙も政治家も、本当に必要ですか」
2020.10.22 GLOBE+

(略)

――なるほど。もし、成田さんの理論が現実になったら、選挙も政治家という「代表」を選ぶのではなく、自分が信じる「政策」に票を投じるということですか?

そうなるでしょうね。そして個々の論点、政策ごとに、それに重大な影響を受ける人々の声を中心に集める仕組みが必要になります。とくに少数派の声をどのようにしてくみ取るかが重要です。

そもそも、今の民主主義の欠点の一つは、あらゆる論点に「みんなが参加する」という「無理ゲー」(難易度が高すぎて「クリアするのが無理なゲーム」を指す用語)な建前が適用されている点だと思います。たとえば、特定のマイノリティーグループに関する制度設計が必要なのに、ほとんど影響を受けない多数派の人々の乱数のような意見が場を支配してしまう。LGBT法制がその例です。これを解決するために、液体民主主義のようにその問題に精通する人に自分の票を預けるとか、あるいは、自分にとって重要な論点だけ投票権をバウチャーを使って購入するとか、そんな方法もあり得ます。さらに、先ほど説明したデータ民主主義なら、当事者たるマイノリティーの声をアルゴリズムで自動的に吸い上げることが可能なはずです。

――そうなると、もう政治家という存在も必要なくなっちゃうかもしれませんね。


そうですね、いらなくなると思います。ただ、キャラクターやマスコットとしての政治家の価値はしばらく失われないのではないでしょうか。私たちは何かの意思決定や制度変更をするときに、誰がそれをしたのかという責任主体を求めてしまいます。自動運転の問題がわかりやすい例です。確率的に手動運転より安全だと頭では分かっていても、そこに誰か責任が問える人がいない形で重大な物事が進行していくことに、まだ耐えられない。私たち古い人類には、そういうくせがあります。だから、データ民主主義が可能になったとしても、最初のうちは、いざとなればサンドバッグとしてフルボッコ(「フルパワーでボッコボコ」の略語)にできるマスコットとして政治家がしばらく必要なんじゃないでしょうか。ただ、2世代先、3世代先になって、データ民主主義に人々が慣れてしまえば、それさえいらないかもです。

(略)


ブログ管理人より

 もし、選挙も政治家も必要なければ社会ってどうなるんだろうか。秩序のない混沌とした社会をイメージしてしまう。かといって独裁がいいというわけでもない。どうして選挙システムが存在するか考えてみるいい機会なのではと思う。

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