アントニオ猪木(アントニオいのき、本名: 猪木 寛至〈いのき かんじ〉、1943年2月20日 - 2022年10月1日)は、日本のプロレスラー、実業家、政治家。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「… 150キロバイト (21,872 語) - 2022年10月1日 (土) 02:39 |
https://www.asahi.com/articles/ASQB13HKDP34ONFB01L.html
「燃える闘魂」アントニオ猪木さん 記者に漏らした「燃え尽きそう」
2022年10月1日 11時30分 朝日新聞デジタル
「燃え尽きそうだけどね」
亡くなったアントニオ猪木さんにインタビューしたのは2019年6月27日。次の参院選を7月に控え、不出馬と政界引退を表明していた猪木さんが、参院議員会館で30分間だけインタビューに応じてくれた。その際、最後に冗談めかして、「燃える闘魂はまだまだ燃え尽きていないですか」と尋ねたとき、冒頭の言葉を猪木さんは答えた。やせてしわが刻まれた顔だったが、肌つやはよく、何より笑顔だった。
もとより、すんなりインタビューができたわけではない。
記者は当時、改選を迎える参院議員118人(定数121、欠員3)が国会で何を語ってきたかを分析するプロジェクトに携わっていた。グーグル社の協力を得て、改選議員の約6年分の国会会議録をすべて分析した。
その結果、猪木さんの発言は、「北朝鮮」「元気」といったワードが上位に並び、明らかにキャラが立っていた。
分析結果を、猪木さん本人に伝えて、議員生活を振り返ってもらえば、政治記事とは別視点の記事が書けると考えた。
しかし、議員会館内の事務所、マネジメント会社に電話をしても、メールをしても返信なし。
困り果てていたところ、「猪木氏は毎日夕方、都内のあるバーに行く。そこで待てば会える」という情報が入った。
疑心暗鬼で、そのバーの出入り口付近で待った。1時間がたち、2時間がたち。「ガセ情報か」と諦めかけていたとき、目の前をスーツに赤いマフラー姿の猪木さんが通り過ぎた。
面識もなく失礼は承知の上で…
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「燃える闘魂」アントニオ猪木さん 記者に漏らした「燃え尽きそう」
2022年10月1日 11時30分 朝日新聞デジタル
「燃え尽きそうだけどね」
亡くなったアントニオ猪木さんにインタビューしたのは2019年6月27日。次の参院選を7月に控え、不出馬と政界引退を表明していた猪木さんが、参院議員会館で30分間だけインタビューに応じてくれた。その際、最後に冗談めかして、「燃える闘魂はまだまだ燃え尽きていないですか」と尋ねたとき、冒頭の言葉を猪木さんは答えた。やせてしわが刻まれた顔だったが、肌つやはよく、何より笑顔だった。
もとより、すんなりインタビューができたわけではない。
記者は当時、改選を迎える参院議員118人(定数121、欠員3)が国会で何を語ってきたかを分析するプロジェクトに携わっていた。グーグル社の協力を得て、改選議員の約6年分の国会会議録をすべて分析した。
その結果、猪木さんの発言は、「北朝鮮」「元気」といったワードが上位に並び、明らかにキャラが立っていた。
分析結果を、猪木さん本人に伝えて、議員生活を振り返ってもらえば、政治記事とは別視点の記事が書けると考えた。
しかし、議員会館内の事務所、マネジメント会社に電話をしても、メールをしても返信なし。
困り果てていたところ、「猪木氏は毎日夕方、都内のあるバーに行く。そこで待てば会える」という情報が入った。
疑心暗鬼で、そのバーの出入り口付近で待った。1時間がたち、2時間がたち。「ガセ情報か」と諦めかけていたとき、目の前をスーツに赤いマフラー姿の猪木さんが通り過ぎた。
面識もなく失礼は承知の上で…
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ブログ管理人より
プロレス黄金期を牽引された偉大なレスラー。こういう人こそが国葬に値するのにね。日本は本当におかしくなってしまった。闘病生活が長かったのでもしやと思っていたが悲しい結末になって残念に思う。心よりご冥福をお祈りします。
プロレス黄金期を牽引された偉大なレスラー。こういう人こそが国葬に値するのにね。日本は本当におかしくなってしまった。闘病生活が長かったのでもしやと思っていたが悲しい結末になって残念に思う。心よりご冥福をお祈りします。
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